Blowin' in the Wind 2011
                          
いっちゃん東海道を歩く・・
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2011.10.25 箱根宿〜三島    歌川広重が描いた東海道53次はこちらでどうぞ
@より

箱根宿から三島へ

日本橋から三島宿まで112.4km、三島市は静岡県になるのでここで神奈川県と別れることになる。ちなみに53次宿のうち静岡県には
三島宿から白須賀宿までの22宿と多い。箱根峠を越えると、箱根西坂はほぼ三島大社まで一直線の坂道で歩く足取りは軽快であったが、
自分の足で歩いてみると、逆に京都から江戸へ旅する人にはさぞかし辛い坂道であったであろうと思う。

三島宿:日本橋から11番目の宿。三島宿は箱根八里を控える宿場として重要な役割を果たすとともに、伊豆半島の文化、産物の流通の
中心という役割も果たしていた。町には富士山の雪解け湧水が豊富な水量で幾筋も流れている、水の町である。
本陣:2軒、脇本陣:3軒、旅籠:64軒


箱根関所跡から国道1号線と合流し300mほど行ったところの、右手に入った道の数10mの所に、箱根駅伝記念碑がある。国道の交差点
から
ゴールまでの距離はテレビで見ている時よりも短かく感じた。国道1号に戻り、100m程行った737号線に入り、すぐ左側奥に箱根宿の
鎮守の神として信仰されていた駒形神社がある。脇道を登り国道
号線に出る。横断して箱根旧街道を進む。石畳や杉並木の坂道を号線
を横断したり合流したりして、右の道を上って行くと、インターチェンジを見下ろす箱根峠の標高846mのもっとも高いところに到達する。

芦ノ湖 箱根大学駅伝の碑 駅伝広場の碑 箱根宿・駅伝案内板 駒形神社

箱根峠のバス停脇に細い道がある。大阪の十朗兵衛親子の冥福を祈って建てた「脚気地蔵(親不知地蔵)」がひっそりと建っている。

国道1号線を横断、旧箱根街道と書かれた木製の門をくぐると箱根八里の碑(峠の地蔵)がある。昔の旅人の憩いの場であった、一里塚に
対して駐車場に面した地蔵群は「現代の一里塚」と案内板にある。この道を行くと三島へ、箱根峠からは三島までは殆ど下る道である。

石畳の石仏群 脚気神社
(倒木で参拝できず)
旧街道 地蔵群
江戸より25里
京都へ100里

右手の舗装道路に入り少し行くと、左側に「是より江戸25里・京都まで100里」の石碑がある。八つ手観音像、八里記念碑(井上靖)を見て
旧街道入ると篠竹(箱根竹)に囲まれた幻想的な兜石坂を下る、小さな「兜石跡碑」を見て、
さらに下り1号線に合流してカーブを曲がると、
すぐ右手に旧箱根街道入口がある。この入口の右手には接待茶屋跡があり、江戸時代箱根を往来する馬や人足、困窮者に飼葉、粥、焚き
火などを無料で施したところで、鈴木利喜三郎とその子孫により1970年(昭和45年)まで続けられた・・とある。

接待茶屋から少し下ると「新田一里塚」に出る。その少し先の左側には兜を伏せたような形の兜石がある。豊臣秀吉が小田原城を攻める時、休憩してこの石に上に兜を置いたとも言われている。もともとは兜坂(兜石跡碑)にあったものが国道1号線の拡幅で現在地に移された。 


八つ手地蔵
箱根竹のトンネル 兜石跡 新田一里塚 兜石

石原坂をさらに200mほど下ると、右側に念仏石と言われる大きな岩と約1mほどの自然石に「南無阿弥陀仏・宗閑寺」と刻まれた碑がある。旅人の行倒れを宗閑寺で供養して建てたものと言われている。大枯木坂・小枯木坂を下って、国道1号線に出る手前の曲がり角の右側に
雲助徳利の墓がある。その上にその謂れが記載されていて要約すると次の通りである。「大酒飲みで事件を起こして西国大名の剣道指南
役を追放された松谷久四郎が、箱根で雲助の仲間になった。彼は雲助をいじめる武士をこらしめたり、文字書きのできない雲助達に手紙を
読んだり書いてあげたりしているうちに、雲助達の親分以上に慕われるようになったが、大酒で命を縮めてしまった。雲助仲間は立派な墓を
建てて生前飲み続けた酒を、盃と徳利で刻んで供養した」この墓は最初は山中の一里塚にあったという。

念仏石
石畳の杉並木
雲助徳利の墓
盃と銚子の墓石
宗閑寺

なお「箱根の雲助」は流しのタクシーのようなもので、箱根の坂を登れない弱い女性や病人の重い荷物などを運んでやっていた人足達で、
決して後世言われているような悪人ではなかったと言う。雲助の由来は「フンドシに尻尾をつけて(箱根山の)雲上にいる人間でないもの、
からきているという」と聞いたことがある。

雲助徳利の墓を見て道なりに左に曲がると国道1号線に出るので、山中新田歩道橋を渡って反対側へ横断し左へ歩くとすぐ山中城本丸跡
への登り口になる
大鳥居が右上にある。少し歩いて右手の細い道に入ると突き当たりに宗閑寺がある。当寺は静岡市の華陽院の末寺で
現在は無住職である。
正面左側の境内には山中城落城で死亡した城主松田康長は始めとする北条軍、豊臣軍の敵、味方の武将の石碑
がひっそ並んで佇んでいた。また隠れキリシタンの墓があるといわれ、探したが判らなかった。

武将たちの墓
芝切地蔵
山中城跡・障子掘
山中城跡・畝掘

山中城跡・碑

すぐ隣の小高い所には「芝切地蔵」がある。このお堂の境内に切り芝を積んで念ずると病気が治るという言い伝えがあり、昔は参拝の人達
が遠く三島町まで続いたという。
たまたま隣家の人が出てきて話を聞くことが出来た。街道歩きにとっては嬉しいことである。
国道1号線に出ると右側に「山中城跡入口の案内碑」がある。駐車場を横切り掘割の脇を登ると、山中城跡・本丸に続く。
山中城は本丸と
岱崎出丸とでなりたち、小田原城の北条氏が1558年から1570年の長年かけて築城したと言われる。中世最末期の山城である
。箱根山西麓580mの高さに位置する自然の要害に囲まれた城で、北条氏にとっては西方防備に拠点として重要な城であった。
しかし豊臣秀吉の圧倒的大軍で1590年(天正18年)3月29日早朝から始まった激戦も、秀吉の朝食が終わらない昼過ぎのわずか半日で落城したという。十数年かけて作った城がたった半日で消滅するとはなんと空しいことであろう。以降小田原城落城とつながり、北条一族
は滅びることになる。

山中城跡・障子掘
右:本丸 左:三の丸
田尻池 箱根八里の碑 堀に架かる木橋 芭蕉句碑

三島市では昭和48年から発掘調査を行い、山城の全容を明にして史跡公園化をはかった。発見された障子掘や畝掘は水のない空堀の底
に畝を残し敵兵の行動を阻害するという、北条流の築城術を示すものとして注目されている。本丸入口にある
田尻池は山城の重要な水瓶の存在であり、今でもきれいな水をたたえている。山中城跡から国道1号線を横断すると、左側に岱崎出丸跡がある。時間の都賀腕素通りとなる。この山中城は街道に沿って作られた長い城である。断して出丸跡の左側にある石畳の細い道の長い下り坂を下って行く
国道1号線を横断する所にくると「霧しぐれ 富士を見ぬ日ぞ 面白き」と刻んだ芭蕉の句碑(昭和53年建立)の立つ富士見平に出る。ここからの富士山は大変美しかったはずであるが・・今日は雲の中・・一説によると「富士を見られず悔し紛れに読んだ」とか・・。


笹原一里塚石碑
笹原一里塚 松雲寺 明治天皇・御腰掛石 法善寺跡・碑

国道1号線を横断してさらに上長坂を下って行くと再度1号線に出る。少し手前の左側に「笹原新田一里塚碑」がある。ここは日本橋より27
里の一里塚となる。

国道1号線を横断すると「こわめし坂」と名のついた街道でも1、2を争う急坂の案内板がある。こわめしの」由来は、あまりにも長い急坂の
ため背負った米が汗と熱で「強飯(こわめし)」が出来たといことから来ている。坂の写真は勾配をうまく表現できない(カメラ講座・構図で聞
いてみよう)が実際に歩くとかなりの急勾配である。これが数100mも続いていく。「昔の旅人は箱根峠を越す時は草履を10足用意した」と、聞いたが、険しい坂道ばかりで損傷が激しかったのであろう。下って行くにつれ坂も緩やにかなり、里へ出て来たという感じがし始める。
右側に
松雲寺の立派な石柱の門が現れる。

当寺は江戸時代東海道を往還する西国緒大小名の休憩所となったり、幕末は徳川一門の寺本陣ともなったところで有名であり、明治天皇
が座って富士を見たと言う「明治天皇御腰掛石」がある。ここで雲の切れ目から富士山の頂上が現れ歓声があがり、シャッター音が響く。


出征場記念碑
馬頭観音 光背道祖神 箱根路の碑
国道1号線
初音が原・松並木

松雲寺から約3Kmほど歩くと国道1号線に出る。その左側に箱根路と刻まれた大きな石碑が置いてある。これは昭和43年に三島出身の
倉島延三氏が旧東海道が忘れ去られるのを惜しんで建てたものである。ここの脇には万霊塔・供養塚がある。4つの坂を下り、題目坂の
手前には馬頭観音碑が立てられている。
ここから国道1号線に合流して「初音が原」の碑から松並木が続く石畳の側道のゆるい下り坂を
500
程歩くと、日本橋から28番目の錦田の一里塚がある。この一里塚は復元したものでなく国道を挟んで両側(南塚・北塚)に残されて
いる貴重なものである。

錦田一里塚 宝鏡院 傘置きの石 源義詮の墓 新町橋からの富士山

さらに愛宕坂を経て1.5Kmほど歩くと大場川にかかる新町橋にたどり着く。ここで箱根の下り坂は終わりとなり三島宿に入る。
新町橋を渡って三島宿に入って5分ほど歩くと、右側に立派な大鳥居があり参道の奥には
三嶋大社本殿がある。三嶋大社は伊豆一ノ宮で
道中の安全の守り神として旅人の尊敬を受けていた。現在の本殿は明治2年に再建されたもの。またこの社で源頼朝が源氏の再興を祈願
し(旗揚げの碑)成就したことでも有名であり、将軍、執権の参拝がたびたび行われ、そして東海道に面していたため多くの参拝者も集めた。
山門手前右側には「源頼朝・北条政子」の座ったと言われる石座があり、本殿右には樹齢r1200年と言われる国指定天然記念物の金木犀が聳えている
聳えている。
この木は根周り約3mで、高さ約1mのところで枝分かれ、その先は地面に届くほど垂れている雄大な姿をしている。

旗揚げの石碑 山門 本殿(横から) 金木犀の大木 腰掛石

ここで「男の神社、女の神社」の見分け方に[千木(ちぎ)・鰹木(かつおぎ)・鳥居の形]ついての話となったが、結論は出ず。
ちなみに三島大社は祭神は大山祇神 (おおやまつみのかみ) と 事代主神 (ことしろぬしのかみ) であり「男の神様」を祀ってある。


今日のコースは 箱根関所跡→箱根駅伝(記念碑)ミュージアム→駒形神社→箱根峠→脚気神社→箱根八里の碑→江戸から25里の碑→接待茶屋→新田
  一里塚→兜石→念仏石→雲助徳利の墓→宗閑寺→芝切地蔵→山中城跡→笹原一里塚→芭蕉句碑→松雲寺→箱根路の石碑→錦田一里塚→新町橋→
  三島大社


 クラブツーリズム 「街道を歩く 東海道53次 第13 回 箱根宿〜三島」 街道案内人 根津信年 歴史講師