元荒川の住人
ムサシトミヨ

鴻神社から約800m程進み、加美信号で道は2つに分かれ、中山道は164号線と分かれ左手の県道365号線へと進む。この加美信号辺りまでが鴻巣宿で、当時木戸が設置されていた。

JR高崎線踏切を渡る。踏切から約2分「そば処滝乃家」の分かれ道は、右手の365号線を進む。なお左手は、糠田河岸、さらに東松山へ向かう道。 

蓑田地区の365号線を、JR高崎線と並行に淡々と進み、分れ道から約15分の「蓑田観音前」バス停右側に、羅生門の鬼退治で有名な「源頼光四天王」の一人、渡辺綱の開基と伝えられている蓑田観音堂。本尊は、源経基が戦いの際に兜にいただいた1寸8分の馬頭観音(見られなかった)。

その先、宮前信号交差点を直進し、県道76号線を進む。交差点から約3分の蓑田小学校前信号を進む。信号の右手奥に、朱印状十一通、絹本着色両界曼陀羅二幅ある真言宗・龍昌寺。


路傍の馬頭観音
蓑田観音堂 十三仏 真言宗・龍昌寺 中山道

少し進み、右折した参道奥に、渡辺綱が、祖父の追善のために創建したと伝えられる宝持寺がある。そのすぐ隣には渡辺綱を祀ると伝えられる氷川八幡神社。本殿右の石碑には、表面に蓑田源氏の活躍、裏面には渡辺綱の辞世など刻まれている、「蓑田碑」が残っている。
神社から約400mほどで、武蔵水路にかかる中宿橋を渡り、中宿信号を直進する。(北鴻巣駅に寄りランチタイム)


氷川八幡神社石柱
氷川八幡神社 石碑
馬頭観音
武蔵水路・中宿橋

 武蔵水路:首都圏用水を確保のため、昭和40年完工した利根大堰から行田市、吹上町、鴻巣市の荒川に至る延長14.5Kmの水路。 

鴻巣市から田園の多い吹上町前砂地区に入る。「前砂村」の石碑がポツリと立っている。 先に進むと左側に「史跡一里塚」の碑。案内板を含め文字は剥がれ、汚れて読みにくい、しかも碑は傾いている。碑の側面に一里塚と同じ書体で「伊藤」という苗字があるということは、個人の善意で設置された一里塚かも知れない。

道標・石柱・庚申塔 蓑田の追分・地蔵堂 蓑田の追分の碑・
案内板

六地蔵

前砂村・石柱

蓑田の追分まで来ると、中山道標識と「江戸時代の蓑田追分周辺」案内板がある。「池田英泉の「鴻巣・吹上富士」はこのあたりで描かれた」と刻まれている。どの方向に富士が見えるか不明であるが・・田園風景が広ががっている地なので、晴れていれば今でも素晴らしい富士が見えるのだろう。

365号線を進み、さらに5分ほど進み、前砂信号分かれ道は右手の365号線を、JR高崎線沿いに進む。追分からしばらく歩き、最初の踏切を右折して渡り、すぐ左折する。線路沿いに進み、すぐ左側の電柱に明らかに手書きの中山道標識がある。踏切から少し先の道を右手を進むと、眼病にご利益のあると書かれた妙徳地蔵尊がある。  

曹洞宗・龍昌寺
前砂の一里塚
(伊藤銘あり)
英泉「吹上富士」 妙徳地蔵
明治天皇御輦址

すぐ先で県道307号線と合流する。左折して進み、吹上駅前信号交差点を直進する。当時両側に茶屋本陣や立場があった道である。駐車場の奥に「明治天皇御輦址」野碑が立っている。この先の吹上本町信号丁字路を過ぎ最初の道を左折し、商店街の道を進み、右側に宝筴印塔といぼ地蔵尊で有名な東曜寺。道なりに進むと右側に、吹上地区総鎮守の吹上神社がある。

県道66号線高架下に、「吹上間の宿」案内板と「中山道 間の宿」碑が見えてくる。中山道はこの先でJR線により分断されているので、案内板の後ろの階段を上り、JR線路を横断する陸橋を渡る。

反対側の階段を下り、(こちら側には中山道標識皆無)右折して線路沿いに進み、突当りで消滅した旧道と合流し道なりに左にカーブし、住宅街のゆるい坂道を上り続ける。

県道66号線高架下に、「吹上間の宿」案内板と「中山道 間の宿」碑が見えてくる。中山道はこの先でJR線により分断されているので、案内板の後ろの階段を上り、JR線路を横断する陸橋を渡る。


東曜寺
吹上神社 「間の宿」案内板 分断された中山道 元荒川の風景

反対側の階段を下り、(こちら側には中山道標識皆無)右折して線路沿いに進み、突当りで消滅した旧道と合流し道なりに左にカーブし、住宅街の道を歩き続けると荒川の堤防に突当る分かれ道は、右手を進み、突当り手前左側に、ひっそりと「権八延命地蔵堂」が建っている。

堤防からは熊谷市となり、熊谷堤と呼ばれている。海から71Kmの標識。

 熊谷堤:荒川の洪水を防ぐため、天正年間(1573〜85)に鉢形城主の北条氏邦が築いた堤防。堤防左手は、川など全くみることができない荒川  の河川敷。堤防上を約5分ほど進み、右側に「決壊の碑」石碑。

 「決壊の碑」案内板:埼玉県の中央を流れる荒川は、荒れる川としてたびたび洪水を起こし住民を苦しめてきた。

 昭和22年9月のカスリーン台風では、この地点で濁流により堤防が決壊し、埼玉県北部の村々を襲うとともにおりからの利根川の決壊した濁流と  合流し東京まで達し、多くの人命を奪うとともに付近一帯に甚大な被害を与えた事は、この広大な荒川河川敷からは想像できない。

権八延命地蔵尊 荒川河川敷 決壊の碑 中山道 久下新川村案内図

 権八延命地蔵堂:平井(歌舞伎では白井)権八が江戸へ向かう途中、路銀に困り・・この地蔵前で上州絹商人を殺害300両を奪った。
 傍らで見ていた地蔵に「今のことを他言するな」と口封じをしたところ地蔵が「己れは言はぬが汝も言うな」と口を聞いたと言う。そこから別名「物言い 地蔵」とも呼ばれている。
銘文によれば1698年(元禄11年)に建てられているが、権八はその前に鈴ヶ森で処刑されている。また権八地蔵は、鴻巣宿の勝願寺に一体とこの先の久下にも一体あり、合計三体ある。三ヶ所の地元の人たちにとっては、それぞれが「真実」であるだろう。街道が荒川の土手と続くこの辺りは、当時とても寂しい街道で「物取り」も多くあったと説明にあり、現在の様子からも十分伺える。「事実・・」となると・・このうちのどこか一ヵ所であろう。

久下神社 久下の渡し・冠水橋の碑 権八地蔵尊 社の中の「権八地蔵」 「みかりや跡」案内板

雨の熊谷堤を歩き、久下橋が見えるところで一度堤防を降りる。久下の町に入ると案内板があり、江戸時代の村の成立ちが書かれている。街道旅をする者にとっては嬉しい。その先には久下直光が三島神社を勧進した久下神社。久下氏は隣の熊谷氏と領界争いで有名である。
更に堤防の遊歩道を歩くと「久下の渡し」「冠水橋跡」の石碑、冠水橋の案内板がある。
 冠水橋:昭和30年に架設された長さ282m巾2.7mの車1台が通れる橋で、平成15年まで生活道路として使用されていた。
 石碑の前の遊歩道を下ると久下権八公園の先に、こちらが本命説の権八地蔵堂がある。
堤防上に戻り少し進み、右斜めに下る坂を進んだ先の右側ブロック塀上に、旅人を相手にした「しがらぎごぼうに久下ゆべし」が名物の茶店「みかりや跡」の案内板が立っている。
 みかりや:忍城主が鷹狩に来るとここで休むので、御狩屋と呼ばれた。

東竹禅院入口の
石碑群
東竹禅院 達磨石 元荒川の清流 八丁の一里塚

道なりに進み、突当りで車道と合流し左折する。 その先左側に、「東竹院」立看板。左折して右側に、久下次郎直光の創建で久下一族の墓がある東竹禅院。境内には、高さ3m重さ15tの巨岩達磨石がある。

 達磨石:寛文年間(1661〜72)忍城主が、達磨大師に似たの岩を秩父から城中に筏で運ぶ途中川に落としたもの。
 幾度かの引き上げに失敗し、度重なる荒川の洪水で行方不明になっていた。大正14年にこの院の前で偶然発見された。
元の道に戻って先に進み、信号交差点を直進しその先で道なりに左にゆるくカーブして進む。
佛説寺を過ぎその先右側に曙・万平町自治会館の曙公園、公園の一角には「八丁の一里塚跡」案内版があり、その奥には小さな社と庚申塔が祀られている。
さらに進み公園から約200mの丁字路を右折し、秩父鉄道踏切を渡り上越新幹線高架下を潜り、続いてJR高崎線踏切を渡り、ビルの間を進む。
突当りの銀座一丁目信号交差点で国道17号線と合流し、左折して熊谷宿に入る。
17号線を進み、次の筑波信号交差点の横断歩道橋が今日のゴール。



今日のコースは JR鴻巣駅→加美信号→蓑田観音堂→真言宗・龍昌寺→宝持寺→氷川八幡神社→蓑田の追分→前砂村の石碑→曹洞宗・龍昌寺→
  前砂の一里塚→妙見地蔵→茶屋本陣跡・明治天皇御輦址→東曜寺→吹上神社→権八延命地蔵尊→(久下の一里塚跡)→荒川堤→久下神社→
  権八地蔵尊→東竹院→元荒川の清流→八丁の一里塚→熊谷市内→
JR熊谷

 クラブツーリズム 「街道を歩く 中山道69次 第8回 鴻巣宿〜熊谷」 街道案内人 紺野洋子 歴史講師

Blowin' in the Wind 2011
                          
いっちゃん中山道を歩く・・

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   鴻巣宿から熊谷へ

熊谷宿:江戸から数えて8番目の宿場で、人口は中山道で本庄宿、高宮宿に次いで多かった。
秩父街道の追分のある交通の要衝として、荒川利用した舟運で江戸をはじめ各地と交流し商業都市としても形態を整え、
発展した。ただ宿場住民の反対で宿場に飯盛り女がいなかったので、次の深谷宿に宿泊する旅人が多かった。
昭和20年8月14日終戦前夜の空襲で市内の7割が焼失し、当時の面影が完全に失われてしまった。


熊谷の地名由来:ここを本拠とした桓武平氏・平直方の後裔を称する平直貞が、付近を荒らしていた猛熊を退治し、熊野
権現堂を築いた。これに因んでこの地を熊谷と呼ぶようになり、直貞も熊谷姓を名乗るようになったという。


本陣2軒、脇本陣1軒
、旅籠19軒

2011. 6.18 鴻巣宿〜熊谷    歌川広重渓斎英泉とが描いた中山道69次はこちらでどうぞ