桶川の市街を抜けると北本に入る、しばらくは住宅街と畑、果樹園が続く、講師の話も地域の特産物や開発状況等、参加者を飽きさせないための努力には頭が下がる。この地域はぶどう・なしの産地との事、規模は大きくはないが果樹園が点在し、その間に分譲住宅(と思われる)やマンションが建っている。

北本の地名は江戸時代初期、この地が中山道の宿駅で本鴻巣村と呼ばれていた。その後、宿駅が現在の鴻巣の地に移されて、宿駅のあったところは本宿(元宿)村と呼ばれ、これが北本(北の本宿)の地名の起こりとなった。

桶川から164号線(旧中山道)を約2Kmほど歩くと、戦国武将でこの地に所縁の源範頼(みなもと の のりより)の名の付いた蕎麦・・暖簾には「範頼そば」がある。安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武将で、 河内源氏の流れを汲む源義朝の六男。源頼朝の異母弟で、源義経の異母兄と説明があった。

範頼そば 北本の案内板
(信号左側)
天神社 多聞寺
多聞寺・庚申塔

二ツ家には2軒の茶屋があったと言う、その先の道路右側には天神社、県指定で天然記念物の樹齢200年の無患子(ムクロジ)の木のある多聞寺、解脱会の「御五法ゆかりの塔」、庚申塔がある。ここの庚申塔には「蛇・邪悪・鶏、三猿」が描かれている。その先、北本駅前信号交差点左角に、「北本の歴史」案内板と「中山道北本宿」碑が立っている。

北市本・中山道案内図 三軒茶屋通り 勝林寺・馬頭観音 勝林寺にて 旧中山道
(踏切側から)

旧中山道はJR北本駅の駅前広場手前の、雑居ビルと埼玉りそな銀行の間の細い道との事。164号線を先に進む、左側には勝林寺がある。ここには珍しいと言われる「馬の顔が描かれた」馬頭観音がある。また、6基ならんでいるのも珍しいとの事。ここで円城寺さんのお出迎えを受ける。東間浅間神社の手前信号を右に入り、その先のJR高崎線踏切を渡り、すぐ右折して線路沿いに(旧中山道)進む。線路沿いを約200m程進むと左側に「一里塚」案内標識がある。昼食を終えた後、再度、園城寺さんと合流・ゴールの鴻巣まで同行する。・  

案内標識 一里塚 説明板
一里塚・石碑

東間浅間神社

畑の中の左片隅の小高い所「原馬室一里塚」の石碑と小さな祠がある。線路沿いの中山道古道は、北本市と鴻巣市の境界となっているので、左手にある一里塚は鴻巣市に属する。元に戻り再度164号線中山道に合流し、左折して進むと先ほどの東間浅間神社である。安産・子育ての神社で乳幼児のおでこに印を押す、夏祭り(6月30日)に「出世初山」と言う神事がある。
「中山道鴻巣宿」の立派な石柱(最近建てられたらしい)を過ぎると、八幡神社・浅間神社、金剛院が並んでいる。八幡神社の木陰が涼しかった。
金剛院には首から上の病にご利益があると言われる「お首さま地蔵」「・お耳さま縁起」があり、「病にならぬように」とお願いをした。


中山道・鴻巣宿
八幡神社 金剛院
金剛院・お首さま地蔵

金剛院・おさま様縁起

鴻巣市境界標識で北本市から人形の町「鴻巣市」に入る。市街に入るとそれまでの単調な街道風景が変わり、道の両側の赤で彩られたカラフルな人形店の風景が拡がってくる。「ひな人形」縦看板と電柱にはためく赤い「雛」小旗、左側に赤い幟が並び立つ人形店が並ぶ。老舗広田屋さんの店先には「長寿橋」なる朱色の橋が・・「一度渡ると一年長生きできる」と書かれている。

広田屋さん・長寿橋 作成中の雛人形 鴻巣観光協会 人形・赤物
屏風・狩りの図と
鴻巣御殿

その先左側に、江戸時代から今日までの雛人形や人形に関する古文書・写真を紹介する鴻巣観光協会(旧雛屋歴史資料館)を見学、説明を聞く。
館内に置かれている「江戸屏風図」は千葉県佐倉市の歴史民俗資料館にあるもののレプリカで「ン百万」をかけて作成したそうだ・・屏風の右側と右隅下に鷹狩の模様と鴻巣御殿が描かれている。

老舗・お煎餅屋さん
「こうのす宿」石碑
勝願寺本殿 伊那忠次・忠次
夫妻の墓
芭蕉千句塚

本町交差点の手前を左に入ると勝願寺がある。関東十八壇林のひとつで三十石を受領していた。家康はしばしば訪れていたという。寺のいたる所に「葵」の紋がある。境内には久下村から歩いてきたといい伝わる「権八地蔵」、鴻巣自慢の「なんじゃもんじゃ」の木がある。
3月11日の震災で寺の至る所の墓石、灯篭が倒れているのが痛々しい。山門の仁王像も倒れ修復中との話でした。

勝願寺・本殿内部 なんじゃもんじゃの木 権八地蔵・鐘楼 山門 芭蕉の句にある
油屋

鴻巣駅入り口の交差点のすぐ先の小路を左に入り奥に入ると「東照宮入口」と朱書きされた小さな石碑があり、細い路地の奥には、将軍家鷹狩用宿舎であった鴻巣御殿跡がある。家康・秀忠、家光と三代にわたって使用されたが江戸の大火後、復興のために解体され江戸に運ばれ、その跡に東照宮が設けられた。元に戻り164号線を少し進むと歩道上に、「鴻巣宿本陣跡」碑があり、手前小路を左折した右側に、猿田彦大神石碑と並んで左に、ここが本陣跡であることを示す碑文の「仲町会館建設記念碑」石碑がある


東照宮石碑

御殿跡・鳥居、祠
御殿跡・説明板 本陣跡・猿田彦大神
本陣跡石碑

その先鴻巣駅入口信号交差点を直進し、約100m先の小路を右折した奥まったところに、加賀藩が宿泊と利用したことで、加賀藩の梅鉢紋を寺紋として許されている1457創建(長禄元)法要寺があるここの狛犬は変わっていた。 

164号線(旧中山道)に戻りさらに進み鴻神社前信号交差点手前右に鴻神社の鳥居が見える。1873年(明治6年)に氷川社、熊野社、竹之森雷電社を合祀して鴻三社と呼ばれ、その後、日枝神社、東照宮、大花稲荷社、八幡神社を合祀して鴻神社と改めた。

法要寺・狛犬
(尻に注目!)
法要寺・山門 こうのとり伝説 鴻神社 鳥勝にて・・
「お疲れ様でした)

鴻巣の地名由来 昔、この地に人に害をなす「木の神」と言われる大樹があり、人々は難を逃れるため「木の神」にお供えをしていた。ある日、コウノトリがやってきて、この木に巣を作り、卵を産み育て始めた。ところが大蛇が現われてその卵を飲み込もうとしたので、コウノトリは大蛇と戦い、退散させてしまった。それ以降、「木の神」は人に害をなすことがなくなったので、人々は木の傍に社を建て、「鴻の宮」と呼び、いつしかこの地を「鴻巣」と呼ぶようになった」と参道入り口の案内板にある。  



今日のコースは JR桶川駅→北本市→二ツ家→天神社→多聞寺→北本の案内板→JR北本駅前→勝林寺→馬原室一里塚→東間浅間神社→
  鴻巣市→鴻巣観光協会→勝願寺→鴻巣御殿跡→鴻巣本陣跡→法要寺→鴻神社→
JR鴻巣

 クラブツーリズム 「街道を歩く 中山道69次 第7回 桶川宿〜鴻巣」 街道案内人 大野正實 歴史講師

Blowin' in the Wind 2011
                          
いっちゃん中山道を歩く・・
2011. 6. 4 桶川〜鴻巣宿    歌川広重渓斎英泉とが描いた中山道69次はこちらでどうぞ

地図をクリックで拡大
   桶川から鴻巣宿へ

鴻巣宿は中山道の宿場町であると共に、松山への吉見道、忍藩城下町(行田市)に至る忍道、騎西に向かう道の追分宿と
して賑わい、大きな規模の宿場町であった。
今も盛んな名産「ひな人形」の起源は諸説あるが、その1つに、京都伏見の人形師が天正年間(1573〜92)に移り住んだのが始まりとされている。
豪華衣装で着飾った古代雛は、「関東三大雛市」鴻巣・武州越谷・日本橋十軒店に数えられる
ほどになり、一時は人形を作る家が28戸もあったという。
赤く塗られた人形も名物で、赤ん坊の魔除けに使われ人気
がある

本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠58軒