熊谷宿絵図(熊谷駅北口)                                                        熊谷直実像
  
駅前のロタリーを出て、市のシンボル・星川広場を通り次の筑波信号交差点を左折する。宿場の東木戸は筑波信号の先辺りにあったといわれて
いる。街には「うちわ祭りの提灯」が飾られていた。次の本町2丁目信号・続く熊谷市役所入口信号を進み、本町一丁目信号交差点そばに「札の辻跡」があり、先の交差点を渡り高城神社鳥居・参道奥に平安時代905年(延喜5年)宮中において延喜式・式内社に指定された高城神社がある。
境内には1841年(天保12年)に各地の紺屋が奉納し建立された高さ2.75mの「青銅製常夜燈」がある。
JR熊谷駅ビルから 熊谷直実像 うちわ祭り・提灯 星川広場 札の辻・案内板

 高城神社本殿:1591年(天正18年)石田三成の忍城攻めで延焼したが1671年(寛文11年)忍城主阿部忠秋により再建された。

札の辻・石碑 高城神社
青銅常夜灯
陣屋跡・案内板 千形神社

街道から少し離れて歩くと、熊谷直貞が(直実の父)熊退治をして熊の頭を埋めたと言われる千形(血形)神社、陣屋跡の案内板、熊谷直実の墓と伝えられる宝筐印塔がある熊谷(ゆうこく)
 熊谷寺:熊谷直実は、源平戦「一の谷の戦い」で平敦盛(16歳)打ち取った武将であったが、叔父の久下直光との所領争いに敗れ、出家して蓮生 法師となりここに草庵をあみ余生をおくり1207年(承元元年)に没した。その後天正年間(1573〜92年)に、草庵跡に京都の高僧幡随意上人  が伽藍を建立したのが始まりという。
 閉門中で寺には入れない。「仏門が人との関係を遮断してどうする」・・と、小声で講師さん・・納得です。

熊谷寺
八木橋デパート

竹井本陣跡
星渓園・玉の池 星渓園・松風庵

熊谷寺から旧中山道のあった八木橋デパートに・・デパート前の交差点を渡り左側に敷地1600坪・部屋数47と辻でも有数の規模を誇った「竹井本陣跡の石碑と案内板」少し戻り交差点左側奥には本陣武石の別邸「星渓園」がある。
園内には荒川の決壊でできた「玉の池」と名石・銘木を集めた回遊式庭園があり、涼風を浴びしばしの休憩。
交差点に戻る。旧中山道は交差点右角の八木橋デパートの中を通っている。中山道の街道い歩きはこのデパートの中を歩く。平成元年にデパートが増築した際、旧中山道が建物内に取り込まれてしまったそうだ。案内嬢の話 : 「時々年配の団体さんがお通りになります・・
旧中山道出口にあたる八木橋デーパト西口には立派な「旧中山道跡碑」が建てられている。
鎌倉信号辺りに西木戸が置かれていて、ここで熊谷宿は終わる。

旧中山道・石碑 旧中山道を歩く
旧中山道石碑

ちちぶ道・道標
案内板

熊谷市の中山道碑は、この1ヵ所だけでとても貴重な石碑との事。すぐ前の横断歩道を渡り反対側「一番街」看板のかかる商店街に入ると、どことなく当時の雰囲気が残っているような商店街を道なりに進む。 突当りの横断歩道橋のある石原(南)信号で国道17号線と合流し、右折する。

石原駅入口信号、次の信号交差点左側の横断歩道橋手前を左に入ると、左から順に1766年(明和3年)建立「ちゝぶ道 しまぶへ十一り」道標「秩父観音順礼道11里」道標、「寶登山道 8里15丁」道標が3基並んでいる。交差点の自動車販売店を立てる時に移転されたそうだ。
秩父道はここで中山道から分かれ、寄居,釜伏峠,三沢を経て秩父まで続く。 その先、熊谷警察署前信号交差点右角にステンドガラスのはめ込まれたクラッシックな熊谷警察署が見える。

道標三基 熊谷警察署 新島一里塚 忍藩領界石
忍藩領海石

交差点から約600m中山道は「セイユウ」看板の分岐道は、17号線と分かれ左手を進む。 そのすぐ右側に、樹齢300年高さ12mと言われた(昨年の台風で幹が折れている)大ケヤキのそびえる「新島の一里塚」と建立「従是南忍領」石標と案内板があり、その先には大野郡石原村、忍藩領を示す「忍藩領界石」が建てられている。。 しばらく進み、新照寺前を通り途中の交差点を直進し、玉井堰幹線用水路(柿沼堀)の橋を渡り右手を進む。このあたりは荒川の河川敷の湿地帯で「玉井久保川越」と呼ばれていた。

右・中山道 筋交橋 玉井久保の風景 庚申塔 地蔵堂

道なりに左にカーブし、交差点を直進し、左側農林総合研究センター水田農業研究所沿いに進み、しばらく歩き突当りの国道17号線と合流し、左折して横断歩道橋を渡る。歩道 橋上から17号線と右斜めに分岐する中山道の県道264号線を進み、筋交橋(街道と斜めに交差している橋)を渡り道なりにゆるく左にカーブして石丸病院前を通り、玉井団地の中の264号線を汗を拭きながら歩くと、右側に庚申塔、地蔵堂とともに最近移築整備された観音堂がある。(移築された寺の名前は聞き洩らした。)10分程歩きスーパーで小休止・・暑さに負けて「500ml」を「あっ!」と言う間に2本・・元気を取り戻し歩くと「明治天皇御小休止跡」碑の建つ「志がらき茶屋本陣跡」の石碑がある。

志がらき本陣跡 庚申塔 熊野神社 熊野寺神社・本殿 国済寺・三門

264号線を 道なりに進み、深谷市に入り東方町2丁目信号交差点を直進する。信号からほどなく右側に、熊野神社一の鳥居が見えてくる。
 熊野神社:本殿は一の鳥居から約300m参道奥で、927年(延長5年)この地に枇杷の木を棟木にして小社を建てたのが始まり。
さらに264号線を進み、国済寺町に入る。
右側に幡羅中学校の校庭左側の道を入る突き当り17号を少し戻ると立派な山門(黒門)・三門上杉憲英一族の墓のある国済寺がある。
ここは庁鼻和(こばなわ)城址であり、今でも濠・土塁の一部が残っている。
元に戻り264号線の先に、国道17号線との合流する原郷信号交差点と横断歩道橋手前に「みかへり乃松」の石碑と案内板、松の木(先代は枯れてしまい二代目が植えられている)が植えられている。

国済寺・本堂 上杉憲英一族の墓
みかへり乃松・石碑

案内板

深谷宿・常夜灯

 見返りの松:深谷宿に泊まった旅人が江戸に向かう時、この辺りの並木で振り返って前夜ちぎりを交わした遊女と別れを惜しんだという。「初代    の松は2006年2月枯死した」と説明があった。

深谷・大谷家 だいまさ米店 きん藤 町田燃料店 JR深谷駅

横断歩道橋から、深谷第一高校の正門を右に見て前方のまっすぐな中山道の265号線を進むと宿場街に入り、右側には深谷宿入口目印の高さ4mの「常夜燈」が立っている。その先には趣のある洋館の大谷(おおや)家の建物、宿場通りを進み、その先左側には古い建物と蔵の「だいまさ米店」右側には創業180年の旅籠「きん藤」その筋向いには深谷に来たらここを・・「うだつのある風景」うだつ造りの「町田燃料店」が並ぶ。行人橋を渡りその先の交差点を左に入ると駅前通り、突き当りに渋沢栄一像とレンガ造りの深谷駅に着く。


今日のコースは JR駅熊谷駅→筑波交差点→札の辻→高城神社→千形神社→陣屋跡→熊谷寺→八木橋デパート→竹井本陣跡→星渓園→
  八木橋デパート(旧中山道)→「ちちぶ道」道標→熊谷警察署前→新島一里塚→忍藩領界石→柿沼堀→国道17号→筋交橋→地蔵堂→
  志がらき茶屋本陣跡→熊野神社→国済寺→みかへり乃松→常夜灯→だいまさ米店→きん藤→町田燃料店→行人橋→JR深谷駅


 クラブツーリズム 「街道を歩く 中山道69次 第9回 熊谷宿〜上尾」 街道案内人 大野正實 歴史講師


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   熊谷宿から深谷へ

熊谷宿:江戸から数えて8番目の宿場で、人口は中山道で本庄宿、高宮宿に次いで多かった。
秩父街道の追分のある交通の要衝として、荒川を利用した舟運で江戸をはじめ各地と交流し商業都市としても形を整え発展した。ただ宿場住民の反対で宿場に飯盛り女がいなかったので、次の深谷宿に宿泊する旅人が多かった。
昭和20年8月14日終戦前夜の空襲で市内の7割が焼失し、当時の面影が完全に失われてしまった。


熊谷の地名由来:ここを本拠とした桓武平氏・平直方の後裔を称する熊谷直貞が、付近を荒らしていた猛熊を退治し、熊野権現堂を築いた。これに因んでこの地を熊谷と呼ぶようになり、直貞も熊谷姓を名乗るようになったという。

本陣2軒、脇本陣1軒、 旅籠19件

Blowin' in the Wind 2011
                          
いっちゃん中山道を歩く・・
2011. 7. 2 鴻巣〜熊谷宿    歌川広重渓斎英泉とが描いた中山道69次はこちらでどうぞ