保土ヶ谷宿は日本橋を出て4番目の宿場町であり、権太坂を超え戸塚宿まで行くか、老人子供はここに宿を取るか、江戸立ちをして最初の
宿泊場所として栄えてきた所である。

保土ヶ谷・旧街道通
助郷会所跡
問屋場跡
高札場跡
金沢横町

保土ヶ谷駅前を出て旧街道に入ると助郷会所跡・問屋場跡、高札場跡と賑わった宿場町の面影を残す案内板が続く。金沢横丁と呼ばれる
交差点がある。狭い道路に車が行き交う・・東海道と金沢道(みち)の分岐点となって、ここに4基の道標が残っている。俳句で「程ヶ谷の 
枝道曲がれ 梅の花」と記されている。この時代にも花見客がいたのだろう・・と想わせる。

軽部本陣(門)
脇本陣(藤屋)跡
脇本陣(水屋)跡 旅籠(格子戸)跡 旅籠(本金子屋)跡

国道一号と交差する地点に保土ヶ谷宿の軽部(かるべ)本陣が置かれて、現在も本陣の門が残されている。東海道線が左へ曲がる辺りが
元町で、保土ヶ谷宿を構成した町の一つである。脇本陣(水屋)跡・旅籠屋(本金子屋)跡、旅人が休憩した茶屋跡と宿場跡の名残が残る。
「保土ヶ谷町は、江戸時代の初めのころはここに存在していた」と聞く。国道脇の一角に整備された一里塚跡・上方見方跡が残されている。
ほんの少し小高い所には「子供の虫封じ」にご利益あると言われる「外川神社」がある。


脇本陣(藤屋)跡
一里塚・上方見付跡 外川神社 桃源寺本堂
旧元橋跡

先日、横浜駅の観光案内所を訪ね、「旧東海道の宿場マップ」を貰った。5部構成で丁寧に書かれて、初めて歩く人にもわかりやすい。品川
から神奈川に入り東海道(旧東海道)の歴史案内が整備されているのは歴史を訪ね歩く者にとっては嬉しい。

権太坂 権太坂・石標 案内板 投込塚跡 境木立場跡

苅部家縁の桃源寺は庭園の美しいお寺、季節の梅の花が満開で、池に泳ぐ錦鯉とその美しさを競っていた。

元町からは権太坂(ごんたざか)となる。長い坂を上る左側に、権太坂改修記念碑が立っている。旅人が坂の名を尋ねたところ、耳の遠い
老人が「権太と申します」と答えたのがその名の由来ともいわれる、由来は何とも和やかな名の坂道だが、
江戸(日本橋)を出て8里余り
もの道程を歩いてきた旅人にとっては過酷な坂道であったようである。行き倒れの旅人を葬った「投込塚」の跡で手を合わせる。汗をかき
登り丹沢の峰々を眺め歓声をあげる現代に生きるものの幸せを感じる。

境木立場跡・案内板 境木地蔵参道 境木神社 旧東海道 焼餅坂

保土ヶ谷バイバスを越え、県立光陵(こうりょう)高校を右手に見ながらだらだらの長い坂道を上り切ると、武蔵国と相模国の国境である境木
(さかいぎ)に着く。
ここには境木地蔵があり、当時は一服する旅人を目当てとした茶屋が並び、名物の牡丹餅(ぼたんもち)が食られたいうが・・現在はないよう
である。境木より雑木・竹林に覆われた焼餅(やきもち)坂を下ると、品濃(しなの)の一里塚が見える。左右一対の原型をよく残している。
さらに進むと、東海道はほぼ丘陵の頂部を進み、眺望が開けてくる。東戸塚駅とショッピングビルを結ぶ連絡橋から見る広大な風景は感動
ものです。

品濃一里塚 案内板 品濃坂上 大山通・祠・道標
益田家のもちのき

品濃の一里塚は日本橋から9番目の一里塚・・当時の左右の塚の形が、ほぼそのまま残されている一里塚である。

一里塚は旅人への距離の目安、荷役・籠等の料金の目安のために設けられたとも言われています。

保土ヶ谷から戸塚方面に向かうと、ふたたび国道一号とぶつかり、東海道と柏尾(かしお)通り大山道(おおやまみち)の分岐点になる
小さな
祠には「大山参り」の旅人のための大山道の道標が残されている。国道に戻り、不動坂(ふどうざか)の信号に至る。国道を渡り少し
戻ると、小高い丘に雄株雌株の「益田家のもちのき」がある。
小高い丘・大きな木、坂道が旅人の行く先の目安になったのであろう。
不動坂の信号で、東海道は国道一号と分かれ、丘陵の裾(すそ)に沿った、今は住宅街の静かな道である。先は、舞岡川(まいおかがわ)に
沿って進み、舞岡入り口の信号でふたたび国道一号と合流する。

不動坂 斉藤家倉庫
(鎌倉ハム)
斉藤家 五大夫橋 江戸見付跡

五大夫橋(ごだゆうばし)を渡り、少し進むと江戸見付前の信号がある。ここはかつての戸塚宿の江戸見付が置かれた場所、見付跡はネット
の情報通りにファミレスの敷地内にあった。戸塚宿の江戸側の入り口であり、跡地を示す石碑が建てられている。当時、この辺りには戸塚
町・矢部(やべ)町とともに戸塚宿を構成した吉田町の町並みが続いていた。さらに進み、柏尾川に架かる橋が吉田大橋である。
ここは初代
広重が、保永(ほうえい)堂版
東海道五拾三次の「戸塚宿」で描いた場所である。画中には「こめや」という茶屋の看板と、「左りかまくら
みち」と記された道標が見える
、有名な橋で東海道を歩く人たちはこの場所から橋の撮影をする。長さ八間(約十四メートル)の大きな橋で
あったと書かれている。

妙秀寺 かまくらみち・道標
(広重の絵に描かれた
道標・妙秀寺境内)
吉田一里塚 吉田大橋 広重・戸塚宿の絵
(中央右寄りの道標)

この道標が示している、この地点は東海道と、柏尾川沿いに大船を経て鎌倉へ抜ける鎌倉道との分岐点であり、多くの人々で賑わったことがうかがわれる。なお、この浮世絵に見られる道標と伝えられているものが、現在も近くの妙秀寺(みょうしゅうじ)に保存されている。



今日のコースは JR保土ヶ谷駅→旧東海道→金沢横町→軽部本陣→保土ヶ谷一里塚・上方見方跡→元町→権太坂→境木地蔵→焼餅坂→品濃一里塚→
  大山道分岐→益田家のもちのき→不動坂→舞岡川→五大夫橋→江戸見付跡→妙秀寺→吉田一里塚→柏尾川・吉田橋→
JR戸塚駅

 クラブツーリズム 「街道を歩く 東海道53次 第5回 保土ヶ谷宿〜戸塚」 街道案内人 小暮中和歴史講師

Blowin' in the Wind 2011
                          
いっちゃん東海道を歩く・・
2011. 3.3 保土ヶ谷宿戸塚    歌川広重が描いた東海道53次はこちらでどうぞ
JR保土ヶ谷
JR戸塚駅
益田家のもちのき
江戸方見付跡
戸塚一里塚
吉田大橋
境木立場跡
境木地蔵
品濃一里塚
大山道標
金沢横町
軽部本陣跡
権太坂
妙秀寺
桃源寺
保土ヶ谷一里塚
    上方見方跡