原宿
沼津宿

江戸日本橋から沼津宿まで118.3Km、 沼津宿から原宿間5.9Km。

沼津宿:日本橋から12番目の宿。江戸時代の沼津宿は、伊豆地方の物産を江戸などへ輸送する港として重要な役割を果たしていた。
また漁業も盛んで、鯛や平目などの漁船を30艘ほども操業をしていたという。

狩野川には架橋されていなかったため、渡船で往来していた。沼津市は大震災、大火や空襲などで市街地には宿場の面影をあまり残して
いない。

本陣:3軒、脇本陣:1軒、旅籠:55軒

今回の講師からのサプライズは、沼津宿対岸にある
霊山寺の鐘楼(鐘)・五輪塔宝筺印塔の見物である。

「薫酒山門入不許」の碑の立つ霊山寺の門を入ると、常緑樹の茂る境内に本堂と鐘楼が建っている。真言宗の寺院であったが、延享5年
(1748年)の火災で寺記をことごとく焼失したため、創建の年代などは不詳との事、話によれば、昔この辺が伊豆国であった時、天平の詔
によって創立されたものという。貞治3年(1364年)銘の梵鐘、墓地には、たくさんの墓石の間に、目的の巨大五輪塔がそびえてい。
3基並んだ中の中央の大きな五輪塔は、昭和31年の調査の結果、塔下より青銅製の蔵骨器が出土し、「成真大徳 元享三年(1323年)」
の銘があったと説明されている。長く平重盛の墓と伝えられてきたが、叡尊の弟子の律僧、宗賢房成真の墓であると説明にあった。

このほか墓地には変形宝筺印塔が4基あり、そのうちの2基には嘉元2年(1304年)、正和3年(1314年)の年号が刻まれている。


霊山寺山門
(境内から)

鐘楼

雨落ち
(美しかったので)
五輪塔 変形宝筺印塔

宝筺印塔なのに、相輪が五輪塔の空風輪、塔身が丸い水輪となっていて、説明によれば、五輪塔との混合形式の変形宝筺印塔との事。


街道歩きは沼津一里塚から200m程歩くと県道と合流し沼津市街に入る。三園橋交差点の歩道橋を渡り150m程歩くと川沿いに向かうと
左側に入る「川廓通り」の道標が立っている。道なりに進むと「水神社」、その先に「川廓通り」説明板がある。歩み橋の真下である。

狩野川沿に歩くと、御成橋手前の沼津リバーサイドホテル正面に三枚橋城外掘石垣が展示されている。

三枚城石垣
旧東海道・川廓通り
道標
案内板 中央公園
沼津城址碑
沼津城案内板


沼津城の前身は戦国時代末期に武田氏の武将・香坂源五郎が、狩野川河口のこの地に築いた三枚橋城である。リバーサイドホテル辺り
が外堀であると説明にはあるが、現在は城を想像させるものはまったく見られない。

「川廓通り」説明板脇の階段を登ると中央公園である。ここは沼津城址である。公園西側に「沼津城址」の石碑と案内板がある。
公園の正からは東海道にでる。大手町の信号から沼津駅に向かう。横濱屋の先を右に入ると「城岡神社」がある。この辺りも城内であり、
「沼津兵学校址」の石碑が建っている。

城岡神社 沼津兵学校跡碑
沼津市内道標
広重・蔦屋版
間宮本陣跡

元の通りに戻り御成橋の見える通期町交差点を右折、次の信号に沼津宿の案内板がある。信号を渡り左折、歩道道路側に広重の沼津の
蔦屋版浮世絵「間宮本陣跡」の石碑が立っている。その先の信号を右に曲ると次の交差点右側に浅間・丸子神社がある。
この神社は向かって右側が「丸子神社」左側が「浅間神社」を祀っている。ここの浅間町の交差点から千本松原方面に100mほど行った
右側に乗運寺がある。
誉上人(長円)の開基で、千本山と号する。浄土宗京都知恩院の末寺で三枚橋城主松平康親、沼津城主水野忠友の菩提所でもある。
伝えられるところによると、合戦によって荒れはてたこの地に、旅の僧(長円)がやって来て、土地の人々が潮風の害に苦しんでいる姿を見
て、お経を唱えながら松苗を植え続けたという。人々はこの長円の行いとその徳をたたえ、草庵を建ててそこに住んでもらうようにした。
時に天文6年(1537年)という。庵は初め成鳴寺と称したが、乗運寺と変わり、現在に至っている。
この寺の門前と境内・本堂はとても美しく、見とれてしまった。それもそのはずで門前の石碑に刻まれた文字には「都市景観賞」を受賞して
いる。これほど美しく整備されいると、人の目を十分楽しませてくれる。なおこの寺は明治・大正の歌人若山牧水の菩提寺となっている。

浅間・丸子神社 乗運寺 本殿 長円上人像 牧水の墓

牧水は宮崎県出身であるがこの沼津を愛し1920年(大正9年)から1928年(昭和3年)に没するまで創作活動を行うとともに、千本松原の
伐採計画反対住民運動に精力的に取組んで地元の人々に愛された人でもある。ぼくっすいの墓の前には牧水と夫人の詠んだ詩が書かれ
た石柱が建っている。
 
乗運寺から原宿に向かう街道は、ほぼ一直線の道である。道路左側を500m程離れたところには駿河湾があり、静かな松原が延々と続い
ている有名な景勝地「千本松原」である。ここまで来ると、見たいのが白砂青松の先にある富士である・・東名からは雲のかかった富士を眺め見ることが出来たが、昼になると雲が厚くなっている。でも見たいのは人の心・・堤防の上に上ったが、やはり先は雲の塊であった。

千本松原の松林には長円上人の銅像、若山牧水・井上靖、他の歌碑が点在し、いく筋もの遊歩道が続いている。

千本松原・駿河湾 千本松原 和歌山牧水歌碑 井上靖歌碑 首塚

千本松原公園を離れ、千本の本光寺に隣接した北側西隅に首塚の碑がある。明治33年(1900年)5月、暴風雨の翌朝、千本松林の中で
露出した頭蓋骨が発見された。これを集めて弔ったのがこの碑で、首の病に効験があると信じられている。丁重に頭を下げ、首をさすり後に
する。街道に出て、すぐ左側に「六代松」の石碑がある。脇道の突き当りに平家ゆかりの立派な「六代松」の石碑が立っている。
街道に戻り、7、8分程歩くと
富士清水線と斜に交差するところに出る、歩道橋を渡って右の道路を進む。正面の三角地帯に「旧東海道・
千本街道道標」がある。

六代松の碑 道標 傍寺抗(東側)
松永一里塚
神明塚古墳

この西間門交差点から約400m行った右側の村社八幡神社の境内に面した石垣の上にに「沼津藩領榜示杭」がある。この杭は1777年
(安永6年)に水野出羽守忠友が沼津城を築いた時に、領地の西境を榜示する杭を設置したもので、「従是東 沼津領」と刻まれているが、
「沼津領」の部分は欠けている。なお東境の杭は黄瀬川を渡って来た潮音寺近辺にあり、高さ2.12mの石杭でこちらは当時のままの姿
で残っている。八幡神社から約700m程行ったところの民家の隅に
「大諏訪松永一里塚」の石碑が立っているが目立たず見過ごしてしまい
そうである。更に600m程進むと街道右側奥に神明塚古墳(前期前方後円墳)があり円墳の上には立派な神明神社が建っている。

更に400m程進むと境内に立派な松の大木の聳える祥雲禅寺がある。この間の距離は目標にするものがなくおおまかです )
さらに約500m行った小諏訪バス停を少し過ぎた左側にユニーク姿のな正覚寺が見える。このままほぼ直線の道路を約2.5Km行くとJR
東海道本線を横切り原宿へ入る。宿の正確な位置を表したものはないが、東海道線の踏切を渡り、右側にある神明宮あたりの手前からで
あろうと言われている。

祥雲禅寺 神明宮 正覚寺 松陰寺 松陰寺山門

原宿:原宿を通る旧東海道は、沼津市乗運寺から富士市田子の浦港までの約14Kmにわたって駿河湾に平行に走る平坦な一直線の道と
なっているのが特徴的である。道々からは富士山と愛鷹山の両方を見ることができる小さな宿で、農業にはあまり適した土地でなく漁業で
生計を立てていた。

本陣:1軒 脇本陣:1軒 旅籠:16

東海道本線の踏切を渡って200m程行くと左側に神明神社があり、その入口に集落を守るための道祖神である塞神が祀られている。
塞神は箱根を境に形が変り、西へくるほど大きくなってくると言われているが、今回は確認できなかった。
街道の左側には「原のお地蔵さん」
と親しまれている「清梵禅寺」、白隠が生まれた「長楽寺」と並んでいる。

さらに約200m歩くと白隠前バス停があり、そこから左手の道を入って行くと松蔭寺がある。松蔭寺は1707年(宝永4年)富士山の大噴火
で大破したものを原出身の白隠禅師が住持となり再興した。白隠は江戸中期の仏教界に新風を吹き込み、500年に一度の名僧と全国に
知れ渡り「駿河には過ぎたるものはが二つあり 富士のお山と原の白隠」とまで言われた。山門を入ると境内の白い砂利は印象的で境内の
奥には白隠の墓石がある。ご住職のご厚意により本殿、座禅堂内に安置されている「白隠の木像」も拝観できた。
本殿内には金色に輝く本尊、座禅堂内には目を見開き、今にも動き出しそうな「白隠像」がこちらを見据えていた。

松陰寺本堂 本殿・御本尊 白隠の墓 雲見浅間神社 白隠・産湯の井戸
 また境内の外の民家に面したところに、仰ぎ見るほど高く成長した擂鉢松があった。この松は白隠が幹の先が折られた松が可愛そうだと池田の殿様からいただいた擂鉢を被せてやったところ、そのまま育ったという伝説がある。観光案内の写真では青空をバックに美しく撮ら
れている。その擂鉢は今は寺の倉庫の中で見られないと言われた。またこの近在は「白隠の里」として縁の物が数多く残されている。
寺を出て街道に戻りすぐ左側の空き地の奥には「白隠の産湯」使った井戸が残っている。

画像は松陰寺〜500年に一度の名僧・「擂り鉢の松」より

もとの道へ戻りまたまっすぐで平坦な道を歩く。旧東海道の道幅は最大が7間(12.6)最小が3間(5.4m)と決まっていたというが最大幅
の理由は
判らないが、最小幅は道に籠を置いて両側に侍が立ったときその刀が当たらない幅であるという。


白隠生誕の地碑
高札場跡
浅間神社
問屋場跡
(手ブレです)
本陣跡
(手ブレです)
高嶋酒造・蔵側

この地から富士山がよく見えるということなのであろう、街道筋に浅間神社が多くある。その中の一つに松蔭寺から約2分ほど歩いたところ
に雲見浅間神社がある。この神社は写真の石碑の後ろに見える透明なビニールハウスに暖かく納められていて、一見とても過保護と思え
るのだが・・.。原交番の脇にある浅間神社には「高札場跡」の案内板がある。意識してしっかり見ないと見落としてしまう。

浅間神社からJR東海道本線原駅までの街道左側には「問屋場跡」「本陣跡」の石柱とその上に案内板がある。特に目立つ物ではないので
見落としてしまうかもしれない。

ゴールは「高嶋酒造」である。土地の銘酒「白隠正宗」である。酒好きの人には「純米酒」がお奨めとの店主の話でした。



今日のコースは 沼津一里塚→沼津城址→御成橋→永代橋→乗運寺→千本松原→首塚→八幡神社→傍示抗→神明塚古墳→祥雲禅寺→正覚寺→(原宿)
  →神明神社→松陰寺→雲見浅間神社→高札場跡→問屋場跡→本陣跡→JR原駅→高嶋酒造

 クラブツーリズム 「街道を歩く 東海道53次 第15回 沼津宿〜原宿」 街道案内人 根津信年 歴史講師

Blowin' in the Wind 2011
            
   
いっちゃん東海道を歩く・・
2011.11.18 沼津宿〜原宿    歌川広重が描いた東海道53次はこちらでどうぞ                        
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