Blowin' in the Wind 2010
                 いっちゃんの ひとり旅・・
     還暦過ぎて、やっと自由人となったが・・何の因果か?報いか?「がん」の診断を聞く。自分の我侭・不摂生、不養生
    ならば、いつか行く道、辿る道・・仕方がないと諦めもつくが・・「なんで?いま、自分に・・」であった。
     幸い手術後の経過も良く、100%元の体には戻れないけれども、これから先は開き直り・・地獄の沙汰も何とやら・・
    考えるに天国は無理であろう、ならば「冥土の土産」を閻魔様に・・のんびり・・「ぶらっと・ひと歩き・・」

                     2010.10.22  京都時代祭り・・

京都三大祭・時代祭り
初夏5月の葵祭、盛夏7月の祇園祭、秋10月の時代祭は、“京都三大祭”と呼ばれています。 ことしの祇園祭
を見物して、今日は時代祭見物である。
平安遷都1100年を記念して平安神宮が創建され、その時、平安神宮の大祭、建造物、神苑の保存のため、
平安講社が組織され、記念事業として時代祭が始まった。祭が行われる10月22日は、桓武天皇が794年
(延暦13)に長岡京から平安京に都を移された日です。この祭の特色は、時代風俗行列が行われる事である。
明治維新から延暦時代へさかのぼって、順次風俗、文物の変遷を再現する。 現在は20列、2000人に達し
行列の長さは2キロに及び、山国勤王隊を先頭に、正午、京都御所を出発、烏丸通り、御池通り、河原町通り、
三条通りから平安神宮まで4.5キロ間に一大時代絵巻を展開する。(パンフレットより・・)
出発点は混雑しているとの情報で比較的空いていた丸太町に陣取る。思っていたよりも混雑はしていない。
約2時間・・ここで見物する。見物客のマナーが良くストレスなく見物できた。
丸太町から市役所(御池通り)・河原町・三条大橋、三条通、平安神宮までを行列の追っかけも出来た。
祇園祭り、時代祭り・・祭りというと賑やかさが目立つが、伝統を守り静かに進む祭りの良さがここにあった。
馬車・籠・衣装、小道具もほとんどが当時のものだと聞いた。この祭りにかける京都の人たちの情熱も感じた。
次は葵祭りだが・・5月の連休。東京スリーデー・函館五稜郭の桜・・さて、どうするか?

                     2010.10.23  京都・龍馬ゆかりの地・・
京都御所界隈

NHKの大河ドラマを見るようになったのは、数年前である・・勤務時間の合間の休憩、昼食時間に「大河ドラマ」
の時代考証で「うんちく」が飛び交っていた。そんな話の中に入り込み、大河ドラマを見るようになった。
暗記物が苦手だった自分にとっては、その時・その場所に「何があった」だけが判ればよかった。
ドラマ(フィクション)であれば面白ければいいと思う。歴史は「史実」をつなぎ合わせたフィクションだと思っている。
閑院宮邸跡 拾翠亭・九条池 堺町御門 鷹司邸跡 出水の小川
幕末に4万Kmを歩いたと言われる龍馬の京都でのゆかりの地を巡ってみた。
旧有栖川邸 蛤御門 清水谷家の椋 御所・建礼門 学習院跡
近衛池 近衛邸跡 相国寺本殿 薩摩藩邸跡 雁の寺(水上勉著)
京都御苑近辺では堺町御門・鷹司邸後・旧有栖川邸・蛤御門。京都御所・建礼門・学習院後.猿ヶ辻・近衛邸後・
相国寺・薩摩藩邸跡、冷泉家(同志社大学構内・非公開)と武士たちが暮らした跡をたどるコースでした。

三条・四条川原町界隈
丸太町から三条に移動・・昨日の時代祭りのコースの一部でもある。三条・四条の龍馬ゆかりの地を歩いてみた。
京都でも比較的賑やかな繁華街である。アーケードには龍馬伝が時期を追って書かれ掲げられていた。
武市瑞山居住地跡 桂小五郎像 長州屋敷跡 池田屋騒動の跡 古岡俊太郎低跡
また、「鴨の川原に千鳥が騒ぐ今日も・・」と歌われた新撰組の活躍した地でもある。
池田屋騒動の跡(碑)・坂本龍馬・中岡慎太郎暗殺の場所(近江屋)・中岡慎太郎低跡・古岡俊太郎低跡・土佐藩
邸跡・酢屋・武市瑞山先生居住地跡・長州屋敷跡、桂小五郎像と幕末をそれぞれの思いで暮らした場所を歩いた。
中岡慎太郎低跡 土佐藩邸跡 酢屋(龍馬の定宿) 酢屋の碑 近江屋跡
龍馬・慎太郎暗殺
三条・四条川原町から少し離れたところに祇園がある。
幕府・長州・薩摩、土佐とそれぞれの思惑と戦いがあったが、この戦いで疲れた体、心を癒したのが祇園だったと書に
書かれており、ここでは諍いがなかったとある。


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